大判例

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東京高等裁判所 平成11年(う)933号 判決

被告人 鷲田拓洋

〔抄 録〕

所論は、原判決は、平成一〇年八月二九日午後二時三〇分ころ、被告人の自宅で、被害者緑川有美(以下「有美」という。)に対し、「拓ちゃん、買い物に行くよ。」などと言って同女を連れ出した時に未成年者誘拐罪の実行に着手したと認定しているが、本件は、行きずりの誘拐とは異なり、同女が進んで被告人方に遊びに来たことに始まって、被告人が同女を日常の生活圏から離脱した地点まで連れ出したことから、結果的に誘拐事件となった事案であるから、慎重に実行の着手時期を認定しなければならないところ、被告人は、本件当日の午後八時ころには、既に同女を日常の生活圏から離れた横浜駅周辺に連れて来ていたのであるから、仮に、この横浜駅まで同女を連れ出そうと決意し、これを実行に移した時にその実行に着手したと認めるべきであるとしても、それは、どんなに早くとも、午後四時過ぎに横浜市白根地区センター(以下「地区センター」という。)において、被告人が「有美ちゃん、バイバイ。」と別れを告げたにもかかわらず、同女が「有美ちゃんも行く。」と帰宅の意思のないことを明らかにしたことから、被告人が同女を連れて行こうと決意して連れて行った時であり、前記のとおり、これよりも早い段階の被告人の自宅から同女を連れ出した時に実行の着手を認めた原判決には重大な事実の誤認がある、というのである。

1 そこで、検討すると、関係証拠によれば、(1) 平成一〇年八月二〇日ころ、被告人は、公園で具合いを悪くした緑川友喜(当時小学五年生)を同人の家に連れて行ったことがあり、同人の母親からは名前を尋ねられることもなくお礼を言われただけであるが、同人とその妹の有美(当時五歳)がこのことをきっかけにして被告人方に遊びに来るようになり、二人はこれまで三、四回被告人方に遊びに来ていたこと、(2) 被告人は、二人が遊びに来たときには、家でファミコンゲームをしたり、四季の森公園に連れて行ったり、虫取りをしたりなどして遊んだが、母親が心配してはいけないと考え、午後五時ころには二人を家まで送って行って帰宅させていたこと、(3) ところが、本件当日は、いつもと違い、午後二時ころ、有美が、「友くんね、一人で出掛けたの。」などと言って一人で被告人方に遊びに来たので、同女と共に約三〇分テレビでビデオを見て過ごしたこと、(4) そして、同日午後二時三〇分ころ、同女を連れて自宅を出て、自宅から約二〇六八メートル離れた地区センターに行き、同所で遊んだものの、午後四時三〇分ころ同所を出て、同女を連れて横浜駅行きのバスに乗り、午後五時三〇分ころ同駅に着いたこと、(5) その後、同駅近くのデパートの屋上の遊園地で遊んだり、あるいは電車に乗ったりして過ごし、同駅西口付近から、午後八時五八分発の横浜市緑区白山一丁目一〇番一号所在の「緑車庫前」行きのバスに乗り、午後九時四六分ころ、同車庫前の停留所に着いてバスから降りたが、翌三〇日午前零時ころまで同女と過ごし、同日午前零時三〇分ころ、同女方とは数百メートル離れた場所で同女と別れたこと、(6) 被告人は同女を連れ歩くことなどにつき同女の母親の承諾を得ておらず、途中で同女の母親にかけた電話で有美の所在を尋ねられたが、午後二時過ぎに教習所のところで別れたなどと嘘を言ったこと、が認められる。所論は、右被告人の本件当日の行為が未成年者誘拐罪に該当すること自体は争わず、前記のとおり、被告人と同女との関係や地区センターが同女の行動範囲内であることなどを理由に、原判決の未成年者誘拐の実行の着手時期の認定は早すぎると論難しているが、確かに、被告人方と地区センターの距離は前記のとおり約二〇六八メートルであり、関係証拠によれば、有美の家と被告人方の距離が約二二五メートル、同女はカトレア幼稚園に通い、以前同幼稚園の方に住んでいたことがあり、地区センターは同幼稚園とさほど遠くはないことが認められるから、所論指摘のとおり地区センターは同女の行動範囲内であると考えられ、さらに、本件においては、被告人と同女の前記のような関係や本件当日同女が被告人方に遊びに来たことなどの事情があるから、実行行為の着手時期を慎重に検討すべきであることは所論指摘のとおりである。

2 そこで、さらに検討を進めると、有美の母親である緑川智子は、原審公判で、「子供達には、いつも同じ位の年齢の子と遊ぶように、知らない人の家には上がらないようになどと注意していた。本件当日、同女が公園に行くと言って出掛けたので、公園で遊んでいると思っていた。被告人のところに行っているとは知らなかった。」などと述べているが、他方では、同女が夕方(午後五時四〇分ころまで)帰宅すれば、どこでどのような友達と遊んでいるか余り関心を持っていなかったとうかがえるようなことも述べているのであるから、被告人が、遊びに来た有美を、母親の知らない間に地区センターに連れて行ったとしても、これまでどおり、そこで遊ばせて夕方には同女を自宅に帰すつもりであれば、それは、被告人が好意で同女を遊ばせてやったということであり、それが罪となるものではなく、ただ、子供達が母親の注意を守らなかったというにすぎないものであり、また、これまでと違って、自宅まで送り届けないで、地区センターで同女と別れる方法をとったとしても、前記のとおり地区センターが同女の行動範囲内であるから、同女は同所から一人で歩いて帰宅できると考えられ、この場合も特に問題とすべきものではないと考える。

しかしながら、被告人が同女を地区センターに連れて行ったのが、そこで遊ばせる以上に、同女をバスに乗って行かなければならないような遠くまで連れ出すための手段であったならば、その行為は未成年者誘拐罪に該当し、同女を自宅から連れ出した時に実行の着手があると考えられ、この点は所論も同様である。

3 そこで、この点を検討すると、被告人は、捜査段階において、「本件当日の午後二時三〇分ころ、有美に対し、『拓ちゃん、買い物に行くよ。』などと言ったところ、同女が『拓ちゃんと一緒に行く。』と言ったので、私は、同女を連れて自宅を出て、地区センターに行った。しばらく同所で遊び、午後四時三〇分ころ、私は、同女を連れて同所を出たが、その際、『有美ちゃん、バイバイね。』などと言ったところ、同女が『有美も一緒に行く。』と答えたので、同女を連れてバスの停留所に行き、横浜駅行きのバスに乗り、午後五時三〇分ころ同駅に到着した。」旨一貫して述べており、原審公判でも同趣旨のことを述べている。

ところで、被告人が、有美に買い物に行く旨告げ、一緒に同女を連れて自宅を出て、地区センターに行っていることは前記のとおりであるが、証拠上自宅を出た後被告人が買い物をした形跡はないから、買い物をすると言ったことは嘘であったと考えられ、そうすると、被告人が検察官調書(乙六)で述べているように、そのように言ったことは、同女を家から連れ出す口実と考えられないわけではない。同調書において、被告人は、その時の気持ちを、「午後二時三〇分ころ、有美と一緒に和田町にあるゲームセンターで遊ぼうと思った。有美の母親に無断で有美と一緒にバスに乗り、和田町にあるゲームセンターに行くのはいけないことだと分かっていたが、有美の家族が有美をほったらかしにして愛情を注がないのであれば、自分が有美に愛情を注いてあげようという気持ちで有美を家の外に連れ出す決意をした。ただ、私は、有美がゲームセンターに行くのが好きかどうか分からなかったので、とりあえず私の家から外に出る気持ちを起こさせるため、有美に対して、『拓ちゃん、買い物に行くよ。』と言った。」と述べているのであり、また、地区センターを出た時の気持ちにつき、「私は、その時本当は有美と一緒にゲームセンターに行ったりしたかったのですが、有美が嫌がるのであれば諦めようと考え、有美の気持ちを確認するため、わざと『有美ちゃん、バイバイね。』などと言ったのである。」と説明しているのであるから、同調書によれば、被告人は、さほど強いものではないものの、最初から同女をゲームセンターに連れていく気持ちがあったことがうかがわれ、和田町にはバスで行かなければならないというのであるから、同町に行く目的で同女を自宅から連れ出したとすると、その段階で実行の着手があったと考えられる。しかし、幼女をさして興味を持っているとも思われないゲームセンターに連れて行って、自らはゲームをして遊ぼうとしたというのはやや不自然な感を否めず、この点に関し、警察官調書(乙三、五)では、被告人は、「有美ちゃんが遊びに来てから三〇分位経った午後二時三〇分ころ、私は、和田町にあるゲームセンターに遊びに行こうという気持ちになり、有美ちゃんには買い物に行くと言ってごまかそうと考え、『拓ちゃん、買い物に行くよ。』と言った。そうしたら、有美ちゃんも『拓ちゃんと一緒に行く。』と言い出してしまい、私は、有美ちゃんが一緒に行くと言ったことから、ゲームセンターに行くことを諦め、白根地区センターに行くことを考えた。同センターに行って遊び、午後四時半ころそこを出て、最初有美ちやんと別れるつもりだったので、『有美ちゃん、バイバイね。』と言ったところ、有美ちゃんは、『有美ちゃんも行く。』と言うので、一緒に行くことにした。」と述べ、原審公判においてもこれと同趣旨の供述をしているが、地区センターを出た後、ゲームセンターに行くため同女と別れるように嘘を言った旨の内容は、あながち不自然なものとはいえず、これらによれば、被告人が自宅を出た時には未だ未成年者誘拐の故意はないことになり、検察官調書の内容が信用できるとして、これに基づいて自宅を出た時に実行の着手があるとするには合理的な疑いが残るといわなければならない。

4 しかしながら、地区センターを出て、バスの停留所から和田町ないし横浜駅まで連れて行った時には、それは、同女の行動範囲を越え、一人では帰れず、母親の監護の範囲内から同女を離脱させるものであることは明らかであり、そのようなところに連れて行こうと考えた時に未成年者誘拐の故意があると認められ、その故意に基づき同女を連れて行く行為をした時に、実行の着手があったものと考えられる。被告人の検察官調書を除き、警察官調書(原審公判供述を含む。)によれば、時間の点に若干のずれがあるものの、いずれも地区センターを出た時に和田町ないし横浜駅まで連れて行こうとしたことがうかがわれるから、少なくとも、その段階では実行の着手を認めることができる。

そうすると、被告人が自宅を出た時に未成年者誘拐罪の実行行為に着手したことを認めた原判決には、事実誤認があり、本件における誘拐の着手時期は誘拐の時間と距離に差異をもたらし量刑にも関わるものであるから、右の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

論旨は理由があり、量刑不当の主張について判断するまでもなく原判決は破棄を免れない。

(高橋省吾 青木正良 本間榮一)

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